大学時代

受験

受験でも英語は点数が悪かった。センター試験も結果がボロボロ。当時、200点満点で138点。

英語単位

大学の英語授業は何とか単位が取れた。教授が優しかったおかげだ。自分ががんばったからではない。第二外国語はドイツ語だったが、今振り返ると、どうやって単位を取ったか?思い出せない。いや、ドイツ語は全くできない。あいさつすら忘れた。

 留学生が多くいた写真部

大学は、悪いことばかりでは無かった。写真部に所属していた。このクラブに、なぜか外国人が多く所属してくれて、外国人とコミュニケーションすることの楽しさを体験できた。

韓国人、香港人(表現がおかしいかもしれないが、中国人とはまた違う感覚を持っていたので)、ポーランド人、アルゼンチン人の女性だった。日本の文化を学ぶ留学生たちだった。日本語が堪能だった人もいれば、全くできない人もいた。なのに、部活に参加する(日本人ばかりのところに飛び込む)行動力からは、多くを教えてもらった。

日本語ができない留学生とは、お互い辞書を引きながら単語で何とかコミュニケーションした。写真の撮影・現像方法を英語で伝えるのは大変だった(デジカメが無い時代です)。でも楽しかった。もっと、話せると良いなと漠然と感じた。でも、勉強はしなかった。写真を楽しみ、お酒を呑んで、時間は過ぎていった。

 研究室に配属

大学4年になると、研究室に配属された。専門が乾燥地農業。多くの留学生、海外研究者が研究していた。

学部の時は、まだ、日本語が話せる留学生と接するのみだった。まれに、英語でないといけない時があったが、はじめの一言がでない、挨拶すらまともできない状態だった。危機感はあったが、どう勉強すれば良いのか?わからずだった。また、学生の自分には英会話学校に行くお金の余裕も無かった。

卒業論文にあたり、英語論文を読む必要があった。けれど、最低限で済ませた。たぶん3ヶ月で、2つ論文読んだくらいだったと思う。