大学院(博士課程)

イスラエル留学計画 中止

大学院後期(博士)課程に進学した。(働きたくなかっただけとの噂もある。)

このとき、イスラエルの大学に留学する予定だった。しかし、結果としては留学しなかった。原因は、他人の性にしたくないが、「911」だ。留学直前に、911が起こったのだ。イスラエル。核を持っているのは公然の秘密。今となっては大丈夫だった。が、当時は、イスラエルが戦争突入してもおかしくない。また、イスラエル国内で大規模テロがおきてもおかしくない状況だった。留学計画は、研究室の共同研究と連動していた。そのため、共同研究対象が変更となり留学も中止した。

英語話せないのに留学しようとしていた!

ここで、きちんと説明しておかないといけない。大学院生のなかでは、英語はできない学生だった。まわりの先輩や学生は優秀だった。中には、1時間のプレゼンを楽々やってしまう人もいた。自分は違う。

本当に基本会話すらおぼつかない。そんな状態だった。結果として中止になったが、これだけ英語が苦手な自分が留学する計画だったのは事実。嘘だろ、みたいな話だが、本当である。

しかし、この頃はそんなに英語が話せないにもかかわらず、行けば何とかなる、大丈夫。とお気楽だった。イスラエルは英語じゃ無くて、ヘブライ語が公用語なのにもかかわらず。大学は英語が公用語だろうと、勝手に思い込んでいた。研究室で英語は話せないけど、英語がある日常になれていた、話す気持ちがあれば何とかなると、本当に気楽に考えていた。

もちろん、現実はそんなに甘くないと今は思う。

 人生最良の時間だった。

博士課程は、楽しかった。人生で本をたくさん読み、多くのことを考える時間があった。

ただ、なぜか研究室の雑務も多く担当していた。で、留学も無くなって、なんだかんだしているうちに、結局、退学してしまった。

この判断については、いまも後悔していない。その後も多くのことを学んできたし、得たから。ただし、英語とは大きく離れる。いや、英語とふれることすら無くなっていった。


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