大学院時代(修士課程)

大学院(修士課程)

大学院に進んだ。入学試験で、英語の読解と作文問題があった。専門分野からの出題なので、キーワードが分かれば、後は英語の問題で無く、専門知識の問題として回答できた。問題は英作文。これは、ボロボロだった。教授からもひどすぎると指摘された。講義でも、英語論文を読む事が要求された。これは、同級生に助けてもらった。月一回の外国人の研究発表会は、2時間英語のみだった。そして、一番大きな問題が起こった。隣の机に、留学生が、しかも日本語ができない留学生(ジンバブエ人 当時 政府キャリア いま、どうなっているんだろうかなり心配だ、無事を祈る)がやってきた。同時に、日本語ができない研究者(トルコの大学教授)の生活サポートも担当になった。もう英語から、逃げることができなくなった。

綺麗なブリティッシュイングリッシュを話すジンバブエの留学生

今度は、勉強してからというわけにもならない、今すぐに話さないといけない。単語をしどろもどろ。何とかコミュニケーションをがんばった。がんばるしかなかった。でも、勉強していないので、上達しない。

数ヶ月して、留学生(ジンバブエ人だが、祖母がイギリス人。なので、綺麗なブリティッシュイングリッシュ。聞き取りやすかった。)に、日本語を教えるから、英語を教えてほしいとお願いした。余裕のあるときに、英語のみでコミュニケーションする。また、反対に日本語のみで行う。これが、良かった。ひどかった英会話が、何とかわずかだが、話せるようになった。

茅ヶ崎式で勉強した。

また、日本人の先輩(海外経験豊富)にも教えてもらった。上達する方法も教えてもらった。茅ヶ崎式という教材があることを教えてもらった。これの中級を買って勉強した。これが予想以上に良かった。

家庭教師のバイトをちょっとだけした。だめだめ教師だった。生徒さんごめんなさい。だけど、中学生の英語を教えていると、研究室での英会話力が上がった。留学生にも上手になったねと評価された。中学の教科書は英会話に役立つことを知った。

 タイに研修旅行。

学会の研修旅行でタイに行った。初日いきなり、Royal Irrigation Department(RID) [王立潅漑局](王室直属の組織!)でミーティング。もちろん英語。ちんぷんかんぷん。旅行メンバーとは日本語(日本人だから当たり前だが、)旅行のサポートのため、潅漑局職員さん3名が一緒だった。当然、英語。英語、英語、英語の7日間だった。しかも、最終日は英語で10分間のリポートプレゼン(もうー勘弁してというのが本音。しかし、自分より若い参加者も多く、なぜか、3つに分担した小チームのリーダー)大変だった。けれども、すばらしい体験だった。帰国、直後は英語の学習のモチベーションが最高に上がった。しかし、一週間持たなかった、学習するやる気を保つことが難しいことも知った。

 英語の話すことの恥ずかしさ・コンプレックが無くなった。

研究室では、研究発表会や留学生とのコミュニケーションなどでは、英語を日本語に訳していたら間に合わない。英語を英語のまま理解する経験を多く持てた。今考えると、恵まれた環境だった。

ここで、英語で考える力と英語で会話するときの恥ずかしさ、コンプレックス、間違える事への抵抗感が無くなり、間違った英語の使い方でも言葉で表現する、楽に英語と接することができるようになった。また、留学生・研究者が、中東・イスラエル・アジア・中国と、ほとんどネイティブでなかったので、「国際語の英語」だった。」つまり、間違っても良いから、コミュニケーション手段でみんな話す。発音、アクセントは様々。分からないところは聞き直せばOKだった。

専門分野の会話は何とかできるようになった。一番困ったのは、生活、また、役所への手続きなどの話だった。なにしろ、そんなの中学英語から一度も出てこない話題。全く単語が分からない。大変だった。入国管理局に一緒に行くこともあったし。

修士論文で英作文を書いた。

修士論文の要約は、こんな自分でも英語で書いた。たぶん文法的にどうなの?って言うところいっぱいだったとも思う。英語文献から似た表現を参考に、何とか書いた。ここで一番大変だったのは、冠詞だった。「a」なのか「the」なのか、それとも無くて良いのか?考えても分からない、そりゃそうだ、どう使い分けているのか、理解していないのだから。このとき読んだ「日本人の英語」はこの疑問をわかりやすく解説してくれていた。とても助かった。同じ悩みを持つ人にお勧めです。